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坂口安吾『不連続殺人事件』

No.54
角川文庫:1948
☆☆☆
 彼は十七の時、まだ中学生であったが、私のところへ文士になりたいと称して弟子入りにやってきた。僕みたいカケダシの若僧に弟子入りしたって仕様がない、大家のところへ行きなさい、と言ったら、若い者は若い者同士でさア、と変なことを言やがった。

何だそれは。一理ある考え方ではあると思うが。

坂口安吾といえば『堕落論』、『白痴』に代表されるように、日本有数の純文学の人として有名ですよ。で、そんな人が何故かミステリも書いていた、というのは一部の人には有名な話で、その一部の人にとっては本書はそれこそ日本を代表する本格ミステリ、という扱いを受けているわけです。最近新装版が出たので、今なら本屋に大量に平積みされてますよ。

さてこの話、文庫本にして300ページ程と、さして長い話では無いのですが登場人物がやたらに多い。主人公の友人、文学者歌川一馬の邸宅に様々な人が集められるという設定なのですが、のっけから大量の登場人物が出てきて、その上人間関係が複雑に錯綜している、頭の悪い自分なんかは最後までちゃんと把握出来ていなかったような。

その上人がやたら死ぬ。最終的には八連続殺人事件、となるわけで。その割には、その手のものにお約束的な、生き残りの人の間での「次は誰だ?」的なサスペンス性はほとんど描かれず、割と淡々と進んでいきます。全般的に人物描写が淡泊なんですよね。なんか、「10のうち8がいなくなれば重大だけど、1000のうち8がいなくなった所で大したこと無いだろう」的な雰囲気が読み取れます。

このような違和感は探偵役の巨勢博士の描写にも出ています。探偵としての天才的な能力を有すると鳴り物入りで登場する割には、解決編に至るまで何かをしているようには思えない。それだけなら一般のミステリにも言えなくは無いところですが、巨勢博士そのものの描写も他の登場人物に比べて多いということが無いんですね。ただ、記述者たる主人公の弟子(であり探偵的能力が優れていることを主人公が理解している)というだけで犯人から除外されているというだけ。

じゃあ人間書けないのかよ、と思わなくも無いですが、そこは流石純文学の雄、最後の最後での犯人の描写は真に迫るものがあると思わせます。この一言が作品全体を象徴していると言っても良いかもしれません。肝心のメイントリックの方はまさにパズラーど真ん中という感じで、解決編に入るまでにちゃんと自分の頭で考えて、的なことをしないと十分に楽しめないと思われます。いや凄いんだけど、自分みたいに考えない人間には合わないな、という感じ。昔の版には「読者への挑戦」があったらしいという記述を読んだことがあるのですが、少なくとも新装版には無かったですね。これは「読者への挑戦」を入れるべき作品では?

関連本→
京極夏彦『絡新婦の理』:このクラスの複雑な人間関係・犯行計画をきっちりと理解しやすいように書くには、現代ではこの作品くらい長くなってしまうかも。圧倒的完璧さがここに。
by fyama_tani | 2006-11-26 10:14 | 本:国内ミステリ