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山口雅也『生ける屍の死』

No.20
創元推理文庫:1989
☆☆☆☆
「い、いやだ。もう、これ以上……殺されたくない」

「これ以上」ってところに着目、な。

「死んだ人間が甦る世の中」という設定自体で勝ちというかなんというか。それに呼応するかのように、物語の中心には霊園経営者一族が据えられています。ついでにいうと舞台はアメリカ。作中ではアメリカにおける葬儀のありかたや、死生観などなど、様々な雑学が出てきます。

いづれも普通に生活しているだけでは中々出会えない分野で、こちらに一定以上の興味を持っても楽しめるような読み物になっています。というか半分を過ぎるまではミステリという観点としては微妙かなと感じていました。事件と謎の提出はされるも、この独特な設定が「現場にある死体(葬儀場内なので第三者のものがあっても不自然ではない)が意思を持って動き出す可能性がある」という可能性の拡大程度にしか捉えられていないような印象があったりして。

しかし、後半になると俄然面白くなってきます。物語自体がスラップスティック染みてくるというエンターテイメント的な点でもそうですし、解決編に至ってこの設定が見事に消化しきれているという論理性も見事としか言いようが無いです。

多分、俺の前半部での感触というのは、「登場人物がその可能性でしか物事をみていないから」という点から来ていると思います。でも、フィクションであることが分かっている読者(=俺)と違って、登場人物にとってはこれが現実であり、それを受け入れるためには幾人もの「死者の甦り」を目の当たりにしなければならず、それなしでは解決はありえないという、言わば立場の違いのようなものを表現したかったのかもしれません。

関連本→
笠井潔『サマー・アポカリプス』:日本人著者なのに舞台も登場人物も全くの海外つながり。これも枝葉豪華だけど、本筋がカッチリし過ぎていて完全にはノレませんでした。
森博嗣『笑わない数学者』:「読者と登場人物は違う」という一点に全てをかけたようなお話。盛り上がりまでが遅い(森博嗣の作品全般に言えることですが)という点も似てますね。
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by fyama_tani | 2006-06-28 22:45 | 本:国内ミステリ

大崎知仁『屋上探偵―オクタン』

No.19
ジャンプJブックス:2006
☆☆
 明斉館高校は広い。
 三千人もの生徒を抱えているわけだから、当然めったやたらと広いのである。(後略)

確かに大規模校には入るけれど、描写から察するにこの広さは5000超のそれだと思うぞ。

明斉館高校新聞部が発行する裏新聞「明スポ」、売り上げ低迷が続く状況を打破するために立てた目玉企画は屋上のトラブルシューター、犬村元貞の密着取材だった。という何だそれみたいな設定はとりあえずおいといて。

3つの短編から成っていて、犬村のところに次々と依頼が舞い込んできて、それを次々と解決する、というまあよくあるパターン。謎解きらしきものを出しているつもりなのかもしれませんが、基本はなるようになる、といった感じの事件です。犬村の読書好きという設定をもっとこの部分に積極的に生かして欲しかったですね。

マンモス校に微妙に関わったことがある立場の自分的には、明斉館高校の描写は悪くないと思います。ただ、冒頭でも書いたように、3000人は少ないよ。あと高校だけじゃなくて、上に大学があるなり下に中学校があるなりしたほうが(作中でこれらのディテールを書く必要は無いと思いますが)よりリアリティが出るかな。

ラストは……。無理矢理連作短編にする必要性があったのでしょうか。この手の話はグダグダのまま続けていくのがベストでしょう。文学賞には絶対通らないけれど商業ベースには乗るというスタンスはプロの作家の特権ですし。伏線がほとんど無い上に少しその手のことに詳しい人ならば絶対不可能だと分かるトリックは取ってつけた印象しか与えていません。

関連本→
森博嗣『すべてがFになる』:とにかくグダグダで続けていく成功例。10作あるうちの第1作を挙げる。
古処誠二『UNKNOWN』:キャラの色づけにしか用いられていないかと思っていた小道具にこんな意味が。この位うまく使われていれば文句無いでしょう。紹介作のミントタブレットに対応。
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by fyama_tani | 2006-06-20 22:18 | 本:その他

谺健二『赫い月照』

No.18
光文社文庫:2003
☆☆☆☆☆
「あれは、むしろ古典的な事件だと思うの。いつの時代にもあった、典型的な犯罪だと……」

実は新し物好きの人が多数派なのかも知れませんね。

何に主眼を当てれば良いのでしょう。それ位に複雑な小説です。冒頭ではまず15年前に起きたとされる当時中学生(主人公の兄)による連続殺人事件において残った謎が提出され、現代においても複数の不可能犯罪、そして作中の登場人物が書いたとされる推理小説『赫い月照』。止めは現実に起きた、いわゆる酒鬼薔薇事件における考察。これらが全て同レベルで語られます。

かなり長い話ですが、それでもまだ十分では無いと思う位、それぞれの素材には過剰な装飾が施されています。中盤以降、事件が本格的に動き出し始めると、これらが微妙に関連してくるわけですが、凄く気分が悪い感覚の中読み進めていきました。作中作の『赫い月照』もそうですが、これが本当の事ならば全てが狂っているとしか言いようがありません。普通の作品だったら完全にフィクションのものであると割り切れるのですが、これは現実の事件を下敷きにしているからですかねえ。犯人の造形が特殊だという点も大きいですが。

終盤、長い長い解決編は悪夢の終わりと捉えられますが、最後のアレは再び悪夢の始まりとも考えられます。あの部分に対して説明が為されること無く、放置されたまま終わったのはそういうことなのでしょう。

あと、ネタバレになるので書けませんが、この人が提出してくるアリバイ偽装ってかなり滅茶苦茶だなーと。物理的には可能だけれど、普通そんな事するか。そしてそんな可能性に思いつくか。

関連本→
芦辺拓『グラン・ギニョール城』:これも、作中作が全体を覆っているけれどちょっとネタ寄り?
京極夏彦『塗仏の宴』:物語の多層性が織り成す謎という点においてこれを挙げる。メイントリックに対する考えも近い。最終的な犯人の造形としては、『絡新婦の理』が近いかも。
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by fyama_tani | 2006-06-18 19:35 | 本:国内ミステリ

レジのハイテク化には気をつけた方が良いかも知れんね。

よくある光景:買い物が終わったあとにレジでお釣りをもらう

最近の技術革新は素晴らしいものがありまして、お釣りを計算すると自動的にその額が出てくることにより、店員さんがお釣りを数える手間を減らし、かつ間違えるリスクを無くすという事に成功しており、時々そういうレジを使っている店を見かけることもあるでしょう。

ただ、この手のタイプのレジでいつも気になるのは、小銭が無秩序に吐き出され、店員もそれをそのまま渡す、っていう事なんですよね。例えば、お釣りが263円とかだった場合、従来型だったら店員が100円硬貨2枚、50円硬貨1枚、10円硬貨1枚、1円硬貨3枚という感じで並べて渡してくれるところ、自動型ではごちゃっとまとめて渡す。だから渡された側は即座にいくら渡されたかを数えることが難しくなっているのです。これがさほど問題にされず放置されているのは、「機械が計算しているのだから間違えるはずが無い」という暗黙の了解があるからでしょう。

しかし、ここで、わざと間違えるようにプログラムされていたら?

例えば先ほどの例で、60円を表現するのに敢えて10円硬貨6枚という形を取る事にしましょう。硬貨不足などの理由により、これは十分ありえるシチュエーションだと思います。ここで、機械側で5枚しか出さないように設定されていて、それをそのまま渡したら? これで気づかなければ店側に10円の得が出ます。ほとんどの人がそのまま財布に入れてしまうでしょう。入れてしまったら後で文句言われても店側が開き直ってしまえば店側が有利だと思われます。これが店員自身が数える従来型だったら問題ですけれど、機械である以上間違えるはずが無いという先入観を利用されたら客としてもどうしようも無いでしょう。また、万一見破られた場合には、機械の故障ということにして、素直に謝って正規の金額を返すのでしょうね。全体の客に占める割合はかなり低いと考えられます(まず金額詐称をするのが全体の客の一部で、そこから見破れる客はさらにごく一部でしょう)。

もちろん、毎回やっていると怪しすぎるので、たまーに少なく出す、という感じになるでしょう。また、数が少ないとばれる可能性も上がるので、大量に硬貨を出す場合のみでしょうね。それでも長期にわたってやればそうとうな量が店に残るわけです。機械の律儀さを利用すれば、最終的な収支が合わなくなるということも無い(決定的な証拠となるが)ですし。

実際こんなことはやられてないと思いますが、お釣りを適当に渡されてもちゃんと数えるということに常に意識が向いていないとまずいよー、という事で。自分の場合、お金を渡す前にお釣りを自分の中で(複雑でなければ)計算して、渡されたお釣りが正しいかその場で数えてます(先にも書いたように、しまってからでは責任の所在があいまいになるので)。嫌な客だ。
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by fyama_tani | 2006-06-17 22:15 | 雑記

これでNHKは収入UPに違いない

W杯の日本戦、NHKで中継だったんですね。

それはさておき、NHKの受信料収入が減って久しく、義務化しようという議論が盛り上がってきているという話は今更、という感じでしょう。

個人的には、義務化は当然、かつ払わなかった人は受信できないといったペナルティはあってしかるべきだと思います。

それを前提とした上で、「受信料を払わなかった人はテレビが見られない」というペナルティをどのような時期から始めるか(当然その前には猶予期間があるべきですが、議論の単純化のためこちらは考えません)という問題が次に持ち上がります。

これ、今のW杯みたいな国民的イベントの放映期間と重ねるのがベストだと思うのですね。W杯を例に取れば、「受信料を払わないと日本戦が観られない」→「じゃあ仕方ない払うか」→「その後解約手続きとか取るの何か面倒臭い」→「そのままずるずる払い続ける」という感じでNHK的にはかなりの収入UPが見込めるような気がします。

ほら、高度成長期の時代から、国民的イベントがあるとそれを観るためにテレビ関係の電化製品が一気に普及したりするじゃないですか。それと同じ手口ですよ。

というか、W杯からこういう事しか考えられない俺は心底サッカーに向いていないのだと思った。ちなみにこれが実現したものと仮定して、俺自身はどうするかというと、あっさり受信中断を取ります。というかこんなのが無くても、今家にあるテレビが壊れるか、地上波デジタルに完全移行するかのより早い方を持って、テレビを観ることは一切無くなるでしょう。
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by fyama_tani | 2006-06-12 22:22 | 雑記

島田荘司『斜め屋敷の犯罪』

No.17
講談社文庫:1982
☆☆☆
「(前略)今にお巡りさんは自動販売機で犯人が買えるようになるに違いない。しかしその頃は、犯人の方もコインを放り込んで死体を買っているのです」

もし本当にそういう世界になったら、高いのはどっちだろう?

日常生活に犯罪を当てはめてみたというのではなく、まず犯罪があって、そのために舞台装置を一から構築した、という感じのミステリ。登場人物がステレオタイプっぽくて、かつ警察があまりに間抜けに描写されているのが微妙だった。容疑者であるはずの館の人たちにあんなにコミュニケーションをとりますかみたいな。

これだけで終わってしまうと駄作と言わざるを得ないですが、終盤、中々お目にかかれないような大トリックの開示によって帳消しになっているところがあります。館の間取り図とか、図が大量にあってかつ丁寧に説明がなされていても俺のような人間には理解するのが困難でしたが、こういう風につながっているとはねぇ……。そのページでしばらく止まりました。これは凄いです。ただ、もう一方は犯人にそれが実現可能だったか(いやメインの方も実現可能か? と言われるとかなり微妙だが)、という点において結構微妙。一点の離れ業にのみ着目すべき作品でしょうね。

関連本→
綾辻行人『黒猫館の殺人』:間取りは普通だけど、これもスケールの大きいトリック。
京極夏彦『百鬼徒然袋―雨』:榎木津探偵の造形には御手洗潔の影響がかなり大きいんだろうな、と今更。
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by fyama_tani | 2006-06-12 21:51 | 本:国内ミステリ

柳美里『ゴールドラッシュ』

No.16
新潮文庫:1998
☆☆☆
「ぼく、金の延べ棒持ってるんだ。ほしい?」

今の時代だったら使いやすさの点で現金の方がよっぽどアドバンテージがあるでしょうね。

10年以上前にこの人が書いた文章を読んだことがあって(内容は忘れた)、「凄い綺麗な日本語を書く人だなあ」と思い、その後数年放置されていて、神戸児童殺傷事件と一緒に紹介されていたのがこの本だったはず。その後『命』とかそのへんのエッセイ集を出している状況を見て「何だかなあ」と思ってそのまままた放置、そして最近古本屋で見つけて当時を思い出して購入して読むみたいな。

主人公の少年はドラッグをやっている、という設定なのですが、実際にそのことが描写されているのは最初の少しだけ。しかし、それが全体を覆う大きな伏線となっているというのがポイントだと思います。少年の心の闇にスポットを当てているような作りであって、その実非常に冷たい視線で描いている、そんな気がします。最たる例は一貫して地の文に少年の名前が出てこないということですかね。だからといって名無しの存在ではない、会話文からは少年の名前は丸分かりなのです。あと、地の文において複数人の思考がシームレスに切り替わる様が、少年の混沌とした(見も蓋も無い言い方をすると頭の不自由な)考えとシンクロしているようで、作品に独特の味を与えています。

それにしても、作中で少年が立てた計画とかもう少しうまくやれるんじゃないかという気がするのですが、中学生程度だったらやっぱりこれ位が限界なんでしょうかね。

関連本→
貴志祐介『青の炎』:似たようなテーマを倒叙物のミステリに昇華。やっぱり主人公の頭はそんなに良くない。
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by fyama_tani | 2006-06-11 10:54 | 本:その他

目の付け所が違う

Yamamoto et al. 「Synthesis of Bicyclic p-Diiodobenzenes via Silver-Catalyzed Csp-H Iodination and Ruthenium-Catalyzed Cycloaddition」
J. Am. Chem. Soc. ASAP. (Web Release Date: June 8, 2006)

Ruで[2+2+2]。錯体自体はシンプルなものを使っていますし、基質のジインも一見この手の反応で良く使われる構造をしている。しかし、末端が官能基化されているというのが一番のウリ。このお陰で多置換ベンゼン誘導体が一度に、かつ位置完全制御で入れられるんですよねぇ。確かにそうだなぁとは思うけれど、誰も環化反応の方にばっかり目がいってこんなのやらなかったんですよね。

一つ一つの反応に目新しいところは無いけれど、うまく組み合わせて誰もできなかったことを実現させてしまった好例だと思います。
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by fyama_tani | 2006-06-10 23:11 | 化学:論文絡み

共通試薬の存在は全員の利便性をupするか?

今日共通試薬に関する決まりを決めようみたいな話になって、話し合いというかその実誰も話さないので俺がほとんど進めてしまったのですけれどね。
細かいこと言ってもアレなので、一番力説したところだけ抜粋。

基本的には、「最後の一本を開けた人が一定数補充」という形になるのですが、この表現が曲者。
例えば、一本開封済み、一本未開封という状態であったとする。ここである人物Aが開封済みの試薬を使ってちょうど使い切ったとする。次に別な人物Bがその試薬を使おうとしたとき、当然残っているのは未開封のもの一本なので、それを開けて使うだろう。

この時、補充しなければならないのはA, Bどちらか?

ここで「最後の一本を開けた人が一定数補充」というルールのみだと、都合の良いように解釈されてしまう。AもBも補充しなかったとき、それぞれの言い分は、

A:「最後の一本を開封したのは自分じゃない」から補充しなかった
B:「自分が使ったのは最後の一本」だから前の人が補充(試薬発注ならば最低でも一日はかかる)の手続きをとっていると思った

となる。ここでA, Bどちらが悪いか、というのは関係無い。この結果、一本も無くなったときに全員が不利益を被るという事が問題。ではどうすれば良いか? 答えは簡単。解釈の余地を無くしてしまえば良い。具体的には、「どのような状況であっても最後の一本を開封した人がその時点で補充する」とでもすれば良い。この場合、責められるべきはBである。

そんな感じ。大体の人が「何言ってんの?」という感じでしたが、そういう人たちほどこういう言い訳をする確率が高いことが経験的に導かれています。

たとえ天下の○○大学とか、世界一流の○○研究室出身だとか外から言われようが、決まりも守れないし、そもそも考えることができないような頭の不自由な人は多いのです。そういう人に対する対処法としては、融通を効かなくし、言い訳の余地が無いような決まりを作る、って事だと思うのです。自由裁量ってのは自分に対して責任が取れる人だけの特権ですので。

そして、それを踏まえると、本来は全員のルーチンワークを共有化して全員の負担を減らすというのが共通機器・試薬制度の理念だと思うのですが、そんなの一つもないよなあと。むしろ(去年一年間に限れば)より不自由になってないか? 共通絡みで嫌な目って大体経験してますからねぇ……。それでも共通制度をやめようと俺が言わないのは、もう教育目的以外には無いです。自分が遭ったネガティブな経験を元に、フェールセーフをしけばまだどうにかなります。これでどうにもならなかった時には自分が終わるでしょうね。
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by fyama_tani | 2006-06-09 23:37 | 化学:実験その他

上遠野浩平『殺竜事件-a case of dragonslayer-』

No.15
講談社ノベルス:2000
☆☆☆
 その理由は単純にして明快だ。
 ここに竜がいるからである。

世界の枠組みはシンプルであるほど良い。

ファンタジーとミステリの融合なんだそうな。確かに舞台となるのは架空の世界なのです。その特徴は実に単純で、「竜は最強の存在」。そのおかげで、「竜が他殺としか考えられない状況で殺されていた」というだけで事件の不可能性が説明できてしまうのです。「何故この問題を解くのは難しいのか」というところからディスカッションしなければならないよりも、こういうシンプルな構図の方がずっと魅力的ではないかと個人的に思います。

物語は竜殺しの犯人を捜すために、過去に竜に面会した人物に会うべく世界中を旅する、という形で進んでいきます。それぞれの土地でのエピソードの中には魅力的なものもあるにはあるのですが、一番の問題であったはずの「竜殺しの真相」についてはなおざりになっている感が否めません。せっかくここまで魅力的な謎なのですから、もっとこれに関するディスカッションが行われた方が面白いだろうと考えるのはやっぱり一般的ではないのでしょうか?

一応最後には解決を見るけれど、そこも若干疑問が残る形だったというのが勿体無いです。架空世界を一から構築しているのですから、もっとそれ独特の論理を生かしたものが見たかったですね。その時、本当の意味でのファンタジーとミステリの融合があるような気がします。

関連本→
宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』:ちょっとミステリよりに、かつもう少しメタな展開がお好みならば。最近文庫化もされたことですしね。
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by fyama_tani | 2006-06-04 21:35 | 本:国内ミステリ