井沢元彦『新装版 猿丸幻視行』
No. 119
講談社文庫:1980 ☆☆☆☆☆ 「先輩の東条英機中尉殿だ。同じ連隊にいる。よく覚えておけよ。あの人はきっと大物になる」 歴史扱った作品における(脇役としての)若き東条英機ってこういう扱いされること多いですよね。実際かなり目立たない人だったらしいですが。 ひょんなことから現代の大学院生、香坂明は民俗学の巨人、70年前の日本、折口信夫の若い頃の意識に入り込む。そこで折口は友人から見せられた暗号を通し、百人一首にまで選ばれながら実在すら怪しいとされている謎の歌人、猿丸太夫の謎とそこに潜む歴史の秘密に切り込むことになる――というお話。 歴史の謎と、その鍵となる暗号、ってどこかで聞いた事あるモチーフだと思いませんか。 そう、『ダヴィンチ・コード』と一緒ですね。もちろん、キリスト教に関する秘密と一歌人に関する秘密だったら、欧米的には前者に興味がいって然りだと思いますが、日本には既に20年前にやられていたのです! しかもこっちの方が多分圧倒的に凄い。 さて、折口信夫の意識に入り込む香坂ですが、設定では「入り込んだ人物の目を通して当時の物事を見聞きできる」が、「入り込んだ先の人物の行動には全く干渉できない(し、入り込まれた本人も全く気づいていない)」となっています。だから基本的には折口の身の回りの出来事、として物語は進み、過去のパートで香坂は全く出てきません。だったら最初から物語の舞台を折口の学生時代一本に絞れば良いじゃん、香坂いらないじゃん、という感じもしますが、普通人が小説を読む時における小説の登場人物と読者の関係と入れ子になっている、というメタ的な趣向の一つなのでしょう。 さて、題材が万葉史、さらに「一千年の間誰にも解かれることのなかった暗号」というわけで、専門資料からの引用が割と膨大になります。このあたり、暗号の解き役を折口信夫の「学生時代」としたことが非常にうまく効いていますね。すなわち、これだけ難解な(とされる)暗号を一般人が解いてしまうのは変な話といえば変な話だが、後に偉大な業績を立てる実在の人物ならこれくらいするかなあという気にさせますし、でも学生時代なんで、多少論点が荒っぽくなっても仕方ないじゃん、という言い訳も可能。この辺絶妙。 あと、暗号という題材を扱うにあたって、この20世紀初頭という時代設定はおそらく自然に使える最後の時代かなと思います。今は人間が解くのが不可能な暗号が死ぬほどあるので(その点、『ダヴィンチ~』は単純なクリブ式なので、「誰も解けなかった」というのが凄い不自然)。この時代だとそういう暗号はまだ国家秘密級だったから一学生の折口らがその可能性を考えなかったのも自然。その辺りもうまい(似た例として、島田荘司の『占星術殺人事件』における科学捜査の扱いがある)。 以上のような絶妙な采配のもと、解き明かされる暗号は圧巻。良くこんなの作るよなー、と思います。暗号(これは作者の創作)と平行して語られる猿丸太夫論に、歴史学的な価値はおそらくないんだろうけれど、一つのお話として高い完成度ですよね。 乱歩賞ということで殺人事件も出てきますが、これは正直なくても良かったかな。見た目はそこそこ派手ですけどね。連続の必然性があまり感じられなかった。暗号の部分の完成度が高かっただけにちょっと残念かも。 新装版が出たということでかなり手に入りやすくなっているはず。日本人なら『ダヴィンチ・コード』読む前にこれでしょう。 関連本→ 高田崇史『QED 百人一首の呪』:ここで展開される百人一首論も圧巻。歴史ミステリに事件はいらないという好例。 竹本健治『トランプ殺人事件』:この多段暗号も圧巻。こういうこと思いつく人って普段どういうこと考えてるんでしょうかね?
by fyama_tani
| 2008-01-20 18:20
| 本:国内ミステリ
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小説の紹介とか化学に関する事とかを織り交ぜながら適当に。
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